2023年2月7日火曜日

 小田はいつから「小田」なの?【令和5年2月7日(火)】

 48回小田朝会。今日は武田恭彰先生をお招きし、小田はいつから「小田」と呼ばれていたのか、お聞きしました。

 今から1,300年ほど前の飛鳥時代から、小田は「小田」と呼ばれていたそうです。当時、全国は64の国に分かれていて、岡山県南部の周辺は、吉備国を中心に3つの国、「備前」、「備中」、「備後」に分かれていたそうです。それぞれ国は、「郡」、「郷」に分かれ、私たちの住む小田は、この時代から、「備中国小田郡小田郷」と呼ばれていたそうです。

当時、小田には、1,000人~1,500人程度の人が住んでおり、お米を作っていたそうです。

そして、最近発掘が進んでいる毎戸遺跡は、馬屋の駅であり、お米を出す役所であり、他の国からやってきた人を迎え入れる迎賓館だったそうですよ。

また、その当時から、小田の人は小田が大好きで、小田を治めた殿様も名前を「小田」に変えるなど、小田に誇りをもって、小田を大事に守ってきたそうです。

 武田先生は、小田が大好きで、住所を言うときも、「岡山県矢掛町」とは言わず、必ず、「岡山県小田郡矢掛町」と言って、小田を必ず入れているそうです。

1,300年、大事に守ってきた小田に、みんなも誇りをもって、次の世代に伝えてくださいとお話しされました。